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北陸・甲信越地方

山代温泉(石川県加賀市)【歴史と総湯】

北陸・甲信越地方
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加賀温泉郷最大の温泉

「山代温泉」は石川県南西部の加賀市にある温泉で、「加賀温泉郷」の一つとして1,300年の歴史があります。

加賀市には「山代」、「山中」、「片山津」の3つの温泉がありますが、「山代」が最も大きく、北陸三県でも最大級の温泉です。

「加賀温泉郷」とは上記3温泉と小松市の「栗津温泉」を含めた4温泉を指し、「加賀四湯」とも呼ばれます。

「山代温泉」は行基による開湯伝説があり、神亀2年(725年)に行基が傷口を湧水で癒すカラスを見つけ、その湧水を調べてみたら温泉であったという言い伝えがあります。

以来、その温泉は「烏(からす)の湯」と呼ばれ、戦国時代の永禄8年(1565年)には明智光秀が傷を癒す為に十日間ほど湯治に訪れた事もあります。

明治時代には与謝野晶子、泉鏡花や北大路魯山人など文化人も訪れて作品も残しています。

与謝野晶子は「山代の いで湯に遊ぶ 楽しさは たとえて言えば 古九谷の青」と詠い、泉鏡花は「夢もおぼろな山代温泉」と伝え、魯山人は大正4年(1915年)に旅館「吉野家」の世話で「いろは草庵」に滞在して、数々の看板彫刻や陶芸を行いました。

山代温泉 魯山人寓居
山代温泉 魯山人寓居 / by Jun Seita

共同浴場「総湯」

「山代温泉」には「総湯」と呼ばれる共同浴場が温泉街の中心地にあります。

「総湯(惣湯)」は藩政時代から続く共同浴場で、「山代温泉浴殿」と呼ばれています。

1300年の歴史がある「山代温泉」ですが、「山代温泉」はこの総湯「浴殿」を中心として周囲を「湯の曲輪」と呼び、旅館、土産物屋や飲食店が軒を連ねて温泉街を形成しています。

江戸時代中頃には既に18軒の旅館があったといわれ、加賀藩の藩湯として大いに栄えたといわれています。

当時の旅館には内湯がなかったので宿泊客は総湯を利用していましたが、金沢から山中温泉までを図で解説した1817年(文化14年)発行の「山中行記」では4軒の宿が内湯を備えていたようです。

温泉街の中心には現在も「総湯」がありますが、旧来の「総湯」の跡地には2010年10月に明治時代当時の「総湯」を復元して、温泉の文化と歴史を学べて入浴もできる施設として営業しています。

更に、「山代温泉」にはもう一つの「総湯」があり、それは「旧吉野家旅館」の跡地に建てられ、平成21年(2009年)にオープンしました。

こうして「山代温泉」には現在2つの「総湯」があり、前者を「古総湯」、後者を「総湯」と呼んで区別しています。

源泉公園の足湯

「山代温泉」の中心にある「古総湯」の正面、「湯の曲輪」の旅館の間には無料の足湯がある「源泉公園」があります。

足湯は「山代温泉」の源泉をかけ流しで供給しており、一度に20人ほどが入れる大きさです。

屋外に設置されていますが屋根が付いているので、雨の時でも入れます。

足湯がある岩の上には「山代温泉」開湯の伝説に関わる八咫烏(ヤタガラス)の像があります。

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