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北陸・甲信越地方

昼神温泉(長野県下伊那郡阿智村)【開湯の歴史と由来】

北陸・甲信越地方
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中央アルプス南端の阿智川沿いの温泉

「昼神温泉」は中央アルプス南端の阿智川の渓谷沿いの山間に広がる長野県下伊那郡阿智村の温泉です。長野県南西部の阿智村は西は恵那山を越えて岐阜県中津川市に接し、北西には神坂山、富士見台高原があり、東は飯田市、南は阿南町、平田村に接しています。中央自動車道園原インター又は飯田山本インターを下車して約10分と交通の便も良く、効能が高く湯量も豊富で南信最大の温泉地です。宿泊施設は40軒以上に及び年間30万人以上の宿泊者数ですが、歓楽街的要素は少なく、山間の渓谷沿いの閑静な温泉地として人気があります。

温泉

温泉の開湯

「昼神温泉」開湯は比較的新しく、1973年のトンネル工事の際に偶然温泉が湧出した事がはじまりです。昭和48年(1973年)、JR中津川線のトンネル工事でボーリングをしていた時に湧き出しました。その後、次々と源泉が開発され、現在まで第1号から第4号源泉まであります。源泉は集中管理されており、各温泉施設に配湯されています。歴史の浅い温泉ですが、実は戦国時代には武田信玄の隠し湯があったとの伝承も、江戸時代にこの地域に温泉が湧いていたとの記録もあります。当時から湧出していたとされる温泉は明治期の豪雨による土砂崩れで行方不明となってしまい、以後は温泉がない地域となっていたのです。行方知れずとなっていた温泉が、偶然にも鉄道のトンネル工事によって見つかり、再び温泉地として脚光を浴びるようになったのです。

「昼神」の由来

「昼神温泉」の「昼神」の地名の由来には二つの説があります。一つは古事記や日本書紀に登場する日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が神坂峠で鹿を退治した事に由来するとする説です。日本武尊が東征の際に神坂峠を越えようとすると、山の神が邪魔をしようと白い鹿に化けて立ちはだかったそうです。そこで、武尊は噛んでいた蒜(ひる)を鹿に投げつけて倒したというものです。昔はにんにくやノビルの事を蒜と呼んでいたことから、武尊はニンニクもしくはノビルを食べていたようです。そうした日本武尊の話から峠を越える人々は蒜を噛む様になり、「蒜噛み」、「ヒルガミ」、そして「昼神」と変化して呼ばれる様になったといわれています。もう一つの説は阿智神社に祀られている御祭神の「天思兼命(アメノオモイノカネミコト)」に由来する説です。「天思兼命」は「天照大神」が天の岩戸に隠れてしまった際に、天の岩戸を開けてもらうようにと一計を案じた神様です。こうして「天照大神」に出てきてもらって無事に闇の世界から昼間の明るさを取り戻す事に貢献した「天思兼命」は「昼神(ひるがみ)」と呼ばれる様になりました。「昼神」である「天思兼命」を祀る阿智神社の周辺の温泉が「昼神温泉」と呼ばれるようになったのです。

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