音信川沿いに広がる温泉地
「長門湯本温泉」は山口県北西部の長門市街地から南方の音信川沿いに広がる長門市の静かな温泉地です。山口市の湯田温泉と並ぶ山口県を代表する温泉地ですが、温泉街中央に音信川が流れて周囲が山林に囲まれた自然豊かな場所にあります。
長門湯本温泉の発祥・由来
山口県最古の温泉とされ、開湯は1427年に大寧寺の第3世住職の定庵禅師が発見したとされています。禅師が寺の周りを散歩している際に石の上で座禅をしている老人を見かけて声をかけたところ、その老人は「松風の声のうちなる隠れ家はむかしも今も住吉の神」と、自身は長門一宮の住吉大明神であると答えたのです。その後、その老人は定庵禅師に弟子入りして仏法を修める事となり、応永34年に法衣を贈られた際にはその御礼として山奥に温泉を出現させたと告げて去って行ったといわれています。その温泉が「長門湯本温泉」との事で、泉源は現在も大寧寺の所有となっています。江戸時代の明和5年(1767年)には温泉の近くに「清音亭」なるお茶屋が設けられ、毛利藩主も湯治に訪れています。
「恩湯」と「礼湯」
「長門湯本温泉」には今も残る市営共同浴場の「恩湯(おんとう)」と「礼湯(れいとう)」があります。現在はもちろん区別はありませんが、昔は「恩湯」には一般人が、「礼湯」には武士や僧侶が入浴していました。決して旅館やホテルの豪華な風呂というわけではありませんが、手頃な料金で本格的な温泉に入れるので地元の人々からも長らく愛されています。「長門湯本温泉」はこれらの代表的な2つの共同浴場を中心に音信川に沿って十数軒の旅館が立ち並び、川沿いには遊歩道や足湯も整備されています。
「音信川(おとずれがわ)」の由来
「長門湯本温泉」の中央を流れる「音信川」は恋伝説が残っており、温泉街は「恋叶うまち」として宣伝しています。「音信川」の「音信」は「恋文」の意味で、江戸時代にお茶屋「清音亭」で働いていた湯女が胸に秘めた想いを文にしたためて、川下にいる相手に流したといわれています。現在でもその「恋伝説」を元に恋短冊を川に流す光景が見られます。音信川沿いの各旅館では水溶性の「恋短冊」なる専用の紙を1枚50円で販売しており、想いを込めて川に流せばきっと叶うかもしれません。
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