嬉野川沿いの美肌の湯
「嬉野(うれしの)温泉」は佐賀県南部の嬉野川に沿って湧く嬉野市嬉野町の温泉です。嬉野川沿いに旅館やホテルが建ち並んで温泉街を形成し、武雄温泉と並んで佐賀県を代表する温泉として知られています。
嬉野はお茶の産地としても名高く、辺りは茶畑が広がり、宿泊施設によってはそのお茶を使用した「茶風呂」を提供している所もあります。
泉質はナトリウム‐炭素水塩・塩化物泉、泉温は85℃、源泉数は17か所です。また、嬉野温泉は島根県の斐之上温泉、栃木県の喜連川温泉と共に日本三大美肌の湯にも選ばれています。
【歴史・由来】1300年の歴史を持つ温泉
「嬉野温泉」の歴史は古く、和銅6年(713年)に編纂された「肥前風土記」に紹介されています。「東の辺りに湯の泉ありて能く人の病を癒す」と記述されており、古くから名泉として知られてきました。伝説によれば開湯は神功皇后(201~269)の時代にまで遡るといわれ、神功皇后が新羅、百済、高句麗に出兵した三韓出兵の帰途に嬉野に立ち寄り、白鶴が嬉野川の河原で羽根を浸して後に元気に飛び立つ様子を見て戦傷兵を同じ様に浸した所、傷が癒えたといえたとの事です。それを見た皇后が「あな、うれしいの」と言ったのが「うれしの(嬉野)温泉」の由来と言われています。
嬉野温泉の公衆浴場「シーボルトの湯」
「シーボルトの湯」は平成22年4月にオープンした嬉野温泉の公衆浴場です。「シーボルト」は江戸時代に日本を訪れたドイツ人医師ですが、1812年(文化9年)の「江戸参府紀行」には嬉野温泉の泉質について述べています。
シーボルトは文政9年(1826年)に嬉野温泉を訪れており、そのシーボルトにちなんで名づけられたのが「シーボルトの湯」というわけです。オープンは平成22年と新しい公衆浴場ですが、実は以前には「古湯温泉」と呼ばれる公衆浴場が長らく営業していました。
「古湯温泉」は元々は江戸時代の佐賀藩の支藩である蓮池藩が管理していた浴場で、江戸時代には士農工商といった身分に応じて入浴できる場が決められていました。明治維新後はそうした区別もなくなって民間による経営がされていましたが、火災消失を経て1924年に西洋建築の公衆浴場が再建されて賑わいました。1996年には施設の老朽化等の事情で廃業しましたが、平成22年には木造2階建ての西洋建築物が建てられて公衆浴場「シーボルトの湯」として新たなスタートを切りました。
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