湯河原温泉(神奈川県足柄下郡)

神奈川県西部の温泉

「湯河原温泉」は箱根と熱海の間、芦ノ湖南東の千歳川と藤木川の合流点付近に広がる神奈川県足柄下郡湯河原町の温泉です。泉質は単純泉、弱食塩泉、石膏泉、泉温は30℃~88℃。千歳川は神奈川県と静岡県の県境にあり、川を渡れば日本三大温泉の「熱海温泉」がある静岡県熱海市です。湯河原町の東は相模湾、周囲は箱根外輪山などに囲まれています。「湯河原温泉」の歴史は古く、「足柄の 土肥の河内に 出づる湯の 世にもたよらに 子ろが言はなくに」と万葉集の巻十四に詠われています。歌に出てくる「土肥」とは湯河原の昔の呼び名で、かつて土肥氏が湯河原一帯を支配して事に由来しています。また、夏目漱石、島崎藤村、芥川龍之介、国木田独歩などの数々の文人に愛された温泉としても知られています。漱石の未完の小説「明暗」の舞台は湯河原で、老舗の天野屋旅館にて執筆されました。


湯河原温泉 / machu.

 

開湯伝説

「湯河原温泉」にはたぬきの恩返し説、弘法大師発見説、行基発見説、役行者発見説、山伏発見説など複数の開湯伝説があります。たぬきの恩返し説とは昔、猟師の弓矢で傷ついた狸が温泉を発見して傷を癒した後に、湯河原に住んだいた弥作という者に教えてあげたとする説です。「傷の湯」とも呼ばれる湯河原の温泉は傷の治りも早く、温泉の効能に感謝したたぬきが美女に化けて弥作に教えてあげたといわれています。弘法大師発見説とは昔、富士山の度重なる噴火や地震で関東地方が甚大な被害を受ける中、土岐の天皇により調査を命じられた弘法大師が旅の途中で発見したとされるものです。大師はある日千歳川の上流にて足を洗っていたら、川の水が温泉に変わったと伝えられています。


湯河原温泉 / 寅次郎

行基発見説とは昔、東国を旅していた行基が病に苦しむ乞食の願いを聞き入れ、湯河原の温泉に入浴させて介抱していたら、その乞食が薬師如来に変化し、湯河原の湯を病人の治療に役立てよと命じたというものです。役行者発見説とは、役小角(えんのおづの)と呼ばれる修験者が罪人として大島へ送られる途中、湯河原西方の池峯で修業をする際に温泉を発見したとされています。山伏発見説とは、加賀国出身の元武士の修験者二見加賀之介重行が修業の末に湯河原に定住するようになり、湯河原の奥深くで生活している時に温泉を見つけたとされています。

 

源頼朝ゆかりの温泉

「湯河原温泉」は鎌倉幕府を開いた源頼朝ゆかりの温泉として知られています。湯河原は平安時代末期に頼朝の配下であった豪族の土肥実平の支配地で、土肥氏は頼朝の挙兵に参加しました。当初は平氏との合戦に敗れて逃走する頼朝でしたが、土肥氏は頼朝を洞窟などに案内して隠れて敵の追撃をかわしたと伝えられています。そうして合戦に敗れた頼朝配下の将兵が傷を癒したとされるのが「湯河原温泉」といわれています。「湯河原温泉」は別名「傷の湯」とも呼ばれて外傷に効くといわれており、明治時代に入って日清戦争、日露戦争の際には負傷兵の傷を癒す療養地に指定されました。

 

独歩の湯


湯河原温泉 / machu.

湯河原町の中心部にある「万葉公園」には日本最大級の足湯専門施設「独歩の湯」があります。湯河原をこよなく愛した国木田独歩にちなんで名付けられました。日本列島をイメージした円形の園内に健康回復の泉と銘打たれた足湯が9種類あります。2001年(平成13年)にオープンしましたが、足湯には珍しく大人300円の有料施設です。9つの足湯とは「脾骨(ひこつ)の泉」、「皮口(ひこう)の泉」、「平静(へいせい)の泉」、「腸鼻(ちょうび)の泉」、「思考の泉」、「脈胃の泉」、「喜(よろこび)の泉」、「肝目(かんもく)の泉」、「腎耳(じんじ)の泉」です。それぞれの名前に関係した部位に効能があるとされ、足湯の底に突起があって足裏を刺激したマッサージ効果が期待できます。

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