下部温泉(山梨県南巨摩郡身延町)

山梨県身延町下部の温泉

「下部温泉」は毛無山が水源の下部川の渓流に沿って広がる山梨県南巨摩郡身延町下部の温泉です。温泉としての歴史は古く、発祥は景行天皇の時代(西暦71~130年)にまで遡ります。当時、国内巡視の為に訪れていた甲斐国造(かいのくにのみやつこ)の塩見足尼(しおうみのすくね)によって発見されたとされています。塩見によって発見された事から当初は「塩見の湯」と呼ばれていましたが、後に「下部温泉」と呼ばれる様になったといわれています。また、江戸時代の郷土誌「甲斐国志」によれば、承知3年(836年)に熊野権現が現れて温泉が湧出したともされています。いずれにしても「下部温泉」の歴史は古く、戦国時代には甲斐武田軍の療養温泉となり、江戸時代には湯治場として身延山久遠寺の参詣者にも利用されてきました。現在でも温泉街は歓楽街といった要素は少なく、下部川の渓流の静かな山間に囲まれた歴史のある湯治場といった雰囲気が漂っています。

旧源泉と新源泉

「下部温泉」の源泉は昔からアルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性低温泉)、pH9.0、泉温31.3℃の低温で、浴場では低温の源泉の浴槽と加温した高温の源泉の浴槽を交互に入る事が効果的といわれてきました。しかし、近年になって新たに泉温51.0℃、pH9.3、毎分445.5リットルの湧出量のアルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性高温泉)の源泉が掘削され、温泉街の旅館や浴場に供給されているので、低温だけの源泉というわけではありません。

 

国民保健温泉地

「下部温泉」の効能の高さは古くから知られていますが、現在ではその高い効能から環境省より「国民保健温泉地」として指定されています。全国に三千ともいわれる温泉の中でも、高い効能があって国民の保健に有効と見られる温泉を「国民保健温泉地」として昭和56年(1981年)より21箇所が指定されています。「国民保健温泉地」は全国でも91箇所しかない「国民温泉保養地」から選ばれており、「下部温泉」がいかに療養や湯治の温泉として名高い事がわかります。

 

信玄の隠し湯

「下部温泉」は別名「信玄の隠し湯」ともいわれており、戦国時代に甲斐の武田信玄をはじめとする武田軍の将兵が戦で受けた傷を癒したとされる温泉です。群雄割拠する戦国時代では将兵が兜を脱いで丸腰で療養する場所を知られる事は致命的です。実際に戦国時代には温泉で療養中に襲撃されて落命する武将もいたわけで、将兵の傷を癒す温泉は単なる湯治場ではなく、他国に知られてはならない重要機密事項だったのです。そうした事情から武田信玄も領国内における温泉は「隠し湯」として扱ってきたといえます。

戦国最強といわれた武田騎馬軍を率いた武田信玄は、越後の上杉謙信と川中島で激突し肩に傷を受けたといわれています。その傷を癒したとされるのが「下部温泉」です。「下部温泉」が「信玄の隠し湯」と呼ばれたのは単なる伝説ではなく、信玄の直筆と花押が入った「浴場免許状」なるものが現存しています。現在も営業する「下部温泉」最古の「古湯坊源泉館」には源泉館の岩風呂について信玄が浴場の免許状を発行した古文書が存在します。信玄だけではなく、信玄の父武田信虎も同様の免状を発行しており、さらには武田家重臣の馬場美濃守信春は川中島で負傷した将兵を療養させた事に対して感謝状を送っています。「下部温泉」の湯は刀傷などの切り傷、打撲や骨折などに効果があるとされ、武田軍の重要な施設として保護されていたというわけです。

 

熊野神社

下部温泉最古の「古湯坊源泉館」の隣には赤い鳥居があってその先の石段を登ると「熊野神社」があります。「熊野神社」は天長7年(830年)甲斐の国主藤原正信が下部温泉で療養した際に熊野権現のお告げを聞いて建立した神社です。下部温泉にある神社との事で、以後は湯権現として湯治客に参詣される様になりました。いつの頃からは神社には温泉療養を終えた湯治客が松葉杖や義足を奉納するようになり、現在では奉納された松葉杖をお焚き上げする「松葉杖供養祭」なるイベントも毎年開催されています。

 

日帰り入浴・温泉

下部温泉には日帰り入浴ができる旅館や温泉施設が数多くあります。町営の下部温泉会館をはじめ、古湯坊源泉館(現在休止中)、下部ホテル、ホテル守田、橋本屋、おおしま荘、甲陽館、不二ホテル、大黒屋、大村屋旅館、元湯梅乃屋、山田の湯、相模屋、かがみゆ、裕貴屋、登富屋旅館、梅ぞ乃などの宿泊施設です。多くの宿泊施設でも日帰り入浴を受付ておりますが、基本的には宿泊客優先の為、場合によっては入浴できない事もあります。事前に問合せをすると確実です。下部温泉会館は正式名を下部共同福祉施設といい、公営の日帰り入浴専門施設です。建物は昔の公民館や商工会議所をそのまま浴場施設にしたような感じで飾り気はありませんが、年末年始やメンテナンスなどの臨時休業を除いて無休で日帰り専門なので気軽に利用できます。建物は地下が駐車場、1階が浴室と休憩室、2階は有料の休憩室となっています。浴場は男女別に内湯が1つずつあるのみで4~5人程度入れるほどの大きさですが、窓からは下部川と周りの山々の景色を眺める事ができます。地元の人達も良く利用する上、連休中やシーズンには観光客で混雑するようです。下部ホテルは下部温泉駅の西にある8階建て客室数105の下部温泉では大型のホテルです。日帰り入浴も受け付けており、宿泊客と同じくホテルの浴場を利用できます。2つの源泉を利用した12の湯船が利用でき、昼間には無料の休憩室を利用できます。浴場は松ぼっくりの湯、ほたるの湯、竹とんぼの湯の3つのエリアに分かれています。松ぼっくりの湯には岩露天風呂、温冷浴可能な低温泉、八角檜風呂、内湯壱の湯、内湯弐の湯があり、ほたるの湯には庭園付きの檜露天風呂、岩組みと屋根の太い梁の岩露天風呂、1人用の湯船が並ぶ陶器風呂、低温泉の岩露天風呂、内湯壱の湯、内湯弐の湯があります。又、竹とんぼの湯は30名程は入浴可能なバリアフリー対応の貸切風呂となっています。ちなみに、下部ホテルは石原裕次郎が利用した事もあるホテルとして有名です。かの名優石原裕次郎は昭和36年に志賀高原でスキー中に骨折の大怪我を負ってしまいました。裕次郎が怪我の治療として湯治場に選んだのが信玄が傷を癒したともされる下部温泉だったのです。裕次郎氏は約1ヶ月半の間下部ホテルに滞在し、温泉療養と歩行訓練をして回復したといわれています。下部ホテル内には裕次郎ギャラリーや氏が命名したとされる別館の裕林の間もあります。梅ぞ乃は昭和30年創業の客室数14の老舗旅館です。大浴場にはぬる湯の鉱泉(35℃)とあつ湯の新源泉の上がり湯(42℃)の2つの湯船があります。2つの湯に交互に入る事で体の芯が温まって温泉成分を浸透させてくれる事が期待できます。入浴のみも可能ですが、別料金で個室や離れを利用する事もできます。

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