那須温泉の開湯・歴史
「那須温泉」は栃木県北東部の茶臼岳の山腹に位置する那須郡那須町の温泉です。
茶臼岳は那須岳とも呼ばれ、日光国立公園内にあり、現在も活動中の活火山です。
「那須温泉」は那須岳の火山活動により湧出する温泉で、開湯は飛鳥時代の舒明2年(630)と1400年近く前に遡ります。
舒明天皇の時代に発見された温泉は「鹿の湯(元湯)」と呼ばれ、那須七湯、那須十二湯と呼ばれる温泉でも最古の温泉です。
「鹿の湯」とは狩野三郎行広と申す者が鹿狩りをしていて負傷して逃げた鹿を追いかけた先に見つけた温泉です。
矢傷で怪我をした鹿が温泉に浸かっていたのを狩野が見つけたので「鹿の湯」と名付けられました。
康平2年(1059年)には板室温泉、康治元年(1143年)に三斗小屋温泉、元禄4年(1691年)に大丸温泉、元禄9年(1696年)に北温泉、天保12年(1841年)に弁天温泉、万延年間(1860年)に高雄温泉が次々と発見されました。
これら6湯と那須温泉を合わせて「那須七湯」と呼んでいます。
草津の次は那須温泉‐効能高い湯治場
「那須温泉」は古くから効能高い湯治向けの温泉として知れ渡っていました。
温泉番付を発表した文化14年(1817年)発行の「諸国温泉効能鑑」では東日本の最上位番付の大関は「草津温泉」でしたが、次点の関脇には「那須温泉」が格付けされていました。
この頃には既に効能が高い温泉として知られており、江戸時代には各地の大名が江戸から湯治に訪れていたようです。
正保2年(1645年)には盛岡城主の阿部対馬守が幕府に湯治願いを出した記録があります。
更に、元禄3年(1690年)には松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中に入湯しています。
また、時代を遡れば、文永2年(1265年)に日蓮上人が湯治に訪れ、建久4年(1193年)には源頼朝が狩りの際に入湯しています。
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