阿蘇山北の南小国温泉郷
「黒川温泉」は阿蘇山北の筑後川源流の田の原川の渓谷に広がる南小国温泉郷の一部で、熊本県阿蘇郡南小国町にある温泉です。
田の原川渓谷の奥地に温泉宿が24軒ほど立ち並ぶこじんまりとした温泉街で、自然と調和した景観と露天風呂が魅力です。
標高700mほどの渓谷に温泉街があるため、旅館の規模も小さく、道幅も狭くて交通の便もそれほど良いとはいえませんが、現在では全国でも名の知られた人気の温泉地としての地位を確立しています。
温泉旅館には各自源泉があり、泉温は80~100℃と高く、泉質も10種類と豊富な泉源と泉質があります。
しかし、豊富な温泉資源だけでなく、温泉街全体をあげての環境整備が奏功し、全国各地からそして海外からも観光客が訪れるほど人気の温泉地となっています。
地蔵堂‐黒川温泉の発祥
「黒川温泉」の発祥は瓜を盗もうとした甚吉の身代わりに首を落とされたお地蔵様の伝説にあります。
昔、塩を売っていた甚吉が病気の父に食べさせようと瓜を盗みに畑に入った所、地主に見つかって首を落とされそうになりました。
しかし、首を落とされたのはお地蔵様で畑にはお地蔵様の首が転がっており、咄嗟にお地蔵様が身代わりになってくれたのでした。
その後、肥後細川藩の本田勝十郎がこのお地蔵様を持ち帰ろうとした所、途中でお地蔵様が「この場所に安置して欲しい」といって祀ったら、温泉が湧き出てきたという伝説があります。
その温泉が湧出した場所が現在の共同浴場の「地蔵湯」であり、首なしのお地蔵様が祀られているのが「地蔵堂」です。
「地蔵堂」は現在でも参拝の客が絶える事はなく、利用済みの入湯手形を奉納されるなど「黒川温泉」の名所となっています。
入湯手形
「黒川温泉」の人気が全国でも高まったのは旅館組合が発行する「入湯手形」の存在が大きいです。
「入湯手形」とは旅館組合に加盟している「黒川温泉」の旅館の露天風呂を1枚で3ヶ所まで利用できる入湯券です。
旅館組合又は旅館で1枚1,200円で購入し、各旅館の受付で提示すればスタンプを押してもらって入浴できるというわけです。
「入湯手形」は昭和61年(1986年)から発行開始され、平成25年(2013年)までに250万枚が発行されています。
「黒川温泉」の全旅館の露天風呂を気軽に利用できるとあって大変な人気を呼び、宿泊客だけでなく多くの日帰り客を誘致する目玉となっています。
杉の木の間伐材で作られた「入湯手形」は利用を終えたら記念に持ち帰るのも良いですが、中には「地蔵堂」の境内に結び付けて奉納す方もいます。
「交通安全」、「学業成就」、「恋愛成就」といった願い事を記したスタンプがあり、それを手形に押して境内の手すりに結んで祈願するというわけです。
露天風呂
「黒川温泉」の魅力は何といっても田の原川の渓谷の自然と調和した露天風呂です。
山奥の交通の便もあまり良くない「黒川温泉」が全国でも高い人気があるのは「露天風呂」に依るところが少なくありません。
温泉街のほぼ全ての旅館に「露天風呂」が構えられていますが、そのどれもが雑木を植えたりして自然の中にそのまま風呂があるような静かで開放的な雰囲気の「露天風呂」です。
最初に「露天風呂」を作ったのは黒川温泉の父と呼ばれる「新明館」旅館の後藤哲也氏で、同氏はノミ一本で3年半かけて裏山に洞窟を削って「露天風呂」を作ったとされています。
「露天風呂」を作った「新明館」は徐々に宿泊客を増やし、それに習う様にして他の旅館も「露天風呂」を整備していったのです。
最終的には温泉街のほぼ全ての旅館に露天風呂が造られましたが、敷地の制約からどうしても造れない2軒の旅館を救う為もあって生まれたのが「入湯手形」でした。
各旅館にしてみれば自分の旅館の露天風呂は自分のものという考えが当然ですが、「黒川温泉」の旅館はそうではなくて「黒川温泉」は全体が一つの旅館であり、各旅館が栄えるには温泉街全体が栄えなければならないという共存共栄の理念があったのです。
かくして各旅館の露天風呂は「入湯手形」の登場によって自由に利用できるようになり、その気軽さも評判を呼んで今日の「黒川温泉」の地位を確立しています。
日帰り温泉・入浴
黒川温泉では30軒近くの旅館がありますが、宿泊だけでなく日帰りの入浴も受け付けています。
前述の「入湯手形」を利用すればお得に複数の旅館の風呂を利用する事ができます。
個別で入浴する際の入浴料は500円~700円程度ですが、1枚1,300円(税込)の入湯手形を利用すれば1軒当たり430円ほどで入浴できる事になります。
入湯手形が利用できる組合加盟の旅館はふもと旅館、ふじ屋、優彩、御客屋、旅館湯本荘、お宿のし湯、夢龍胆花泊まり、帆山亭、黒川荘、旅館美里、旅館わかば、和らく、旅館こうの湯、南城苑、いこい旅館、お宿玄河、旅館山河、旅館やまの湯、お宿野の花、旅館山みず木、新明館、旅館にしむら、樹やしき、旅館奥の湯です。
新明館は黒川温泉の中心部の川端通りにある明治35年(1902年)創業の老舗旅館で、館長の後藤哲也氏が手掘りで造った洞窟風呂が名物です。
後藤氏は魅力的な温泉こそが集客の鍵だと信じ、ノミとハンマーを手に10年の歳月をかけて全長30mの洞窟風呂を完成しました。
新明館には名物の洞窟風呂、露天風呂、貸切の家族風呂、内湯があって、多くの宿泊者と日帰り客が立ち寄ります。
日帰りの場合は混浴の露天風呂(岩戸風呂)と女性専用の洞窟風呂だけの利用となっています。
いこい旅館は黒川温泉で唯一日本名湯秘湯百選の混浴露天風呂である「滝の湯」がある宿です。
「いこい」とは「居」心地が良くて「恋」しくなるという意味で「居恋」と名付けたそうで、実際に旅館の障子には「居恋旅庵」と描かれています。
旅館には13種類もの風呂がありますが、日帰りの場合は「滝の湯」、「打たせ湯」、「箱湯」、「美人湯」、「立ち湯」の他に複数の貸切風呂が利用できます。
ふもと旅館は13種類15個と黒川温泉随一の温泉数を誇る宿です。7種の貸切風呂があり、露天や内湯を含めて宿泊者は全ての風呂を利用する事ができます。
入湯手形など日帰り入浴の場合は女性専用の露天風呂「うえん湯」と男性専用の露天風呂「もみじの湯」のみの利用となります。
山みず木は温泉街から離れた田の原川の渓流沿いに建つ静かな一軒宿で、渓流沿いの自然の中に造られた露天風呂が自慢です。
山みず木という旅館の名前は山と水と木を良く感じてもらいたいという理念から来ており、建物も風呂も大自然を生かした造りになっています。
宿には男性露天風呂「幽谷の湯」、女性露天風呂「森の湯」、男性内湯「ますら男」、女性内湯「風人の湯」と貸切風呂「さおと女」があります。
日帰り入浴の場合は「幽谷の湯」と「森の湯」のみの利用となっています。
やまびこ旅館は黒川温泉最大といわれる露天風呂「仙人風呂」が名物の宿です。
宿には露天風呂の仙人風呂の大きい風呂と小さい風呂があって、日替わりで男女が入れ替わります。
又、大浴場の内湯が男女各1つ、貸切の家族風呂が6つで、合計10の風呂があります。
日帰り入浴の場合は露天風呂のみの利用となっており、名物の大きい方の仙人風呂に入れるかどうかは確認しないとわかりません。
仙人風呂(大)は元々千人が入浴できる位広いという意味で名付けられたそうで、さすがに千人は無理ですが、それでも50人位は入れるほどの巨大な露天風呂になっています。
耕きちの湯は温泉街から離れた木々が生い茂る山の中にある温泉です。
単純硫黄泉の白濁色の湯が特徴で、男女別の内湯と3つの貸切風呂があります。
内湯は杉や檜を使って壁、床、湯船と全てが木造となっており、湯船は綺麗な白濁色に染まっていて、湯口からは大量の湯の花が出ています。
御客屋は創業享保7年(1722年)と江戸末期から300年ほど続いており、黒川温泉で最も歴史のある温泉宿です。
元々は肥後細川藩の官営の御用宿として宮原、杖立、田の原、黒川などに作られたのですが、当時の名前である「御客屋」を現在も使っているのは黒川の宿だけです。
宿には代官の湯、御前の湯、姫肌の湯、古の湯、里の湯、家族風呂がありますが、日帰り入浴で利用できるのは代官の湯、古の湯と姫肌の湯のみとなっています。
のし湯は1,200坪の広大な敷地の中に全部で11室の温泉宿です。
男女別の露天風呂、男女別の内湯、家族風呂が3つと7つの風呂があって、日帰り入浴の場合は露天風呂「野天風呂」のみの利用となっています。
和風旅館美里は黒川温泉唯一の硫黄泉がある純和風の温泉宿です。
黒川温泉では珍しい乳白色の温泉としても知られていますが、時間、湿度や天候などの諸条件によって温泉の色が変化します。
ある時は透明、ある時はブルー、そしてある時は乳白色と、入浴時には必ず乳白色というわけではありません。
宿には男女別の露天風呂「美郷の湯」と大浴場がありますが、日帰りの場合は露天風呂のみの利用となっています。
旅館壱の井は温泉街の中心部から徒歩5~7分の地にある静かな自然に囲まれた温泉宿です。
泉質は単純硫黄泉で、天然温泉露天風呂「木立の湯」、百年以上前の民家を改装して作られた内湯、貸切風呂があります。
日帰り入浴の場合は露天風呂のみの利用となっています。
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