草津温泉と並ぶ日本の名湯
「伊香保温泉」は群馬県中央部、西に榛名山、東に赤木山が聳える関東平野北西部の渋川市伊香保町の温泉です。伊香保は古くから湯の街として知られ、上毛かるたでは「伊香保温泉 日本の名湯」とうたわれています。
温泉街のシンボル「石段」
伊香保温泉といえば石段が連想されるほど石段は有名で、365段の石段は温泉街のシンボルともなっています。長さ300メートル、365段の石段の両側に旅館、飲食店、饅頭屋、土産物屋、遊技場などが建ち並び、石段を浴衣姿でそぞろ歩く温泉客で賑わいをみせています。石段の最上段の先には伊香保神社、石段の途中には共同浴場の「石段の湯」があります。伊香保神社の先には源泉があり、傍には源泉を使用した「伊香保露天風呂」があります。
伊香保温泉の開湯・歴史
「伊香保温泉」の歴史は古く、はじまりは紀元前29年~西暦70年の第11代垂仁天皇の時代とも高僧行基(668~749)がいた奈良時代まで遡ります。榛名山の火山活動により湧出したとされる温泉は垂仁天皇の時代に開かれたとも行基によって発見されたともいわれています。「万葉集」や「古今和歌集」には「伊香保」の記述があり、「伊香保温泉」は西暦1300年代の南北朝時代には伊香保に温泉が湧いていると当時の書物「神道集」に記述されています。戦国時代には甲斐の武田勝頼が負傷兵の傷を癒す為に真田昌幸に命じて温泉を整備させました。勝頼は伊香保温泉を負傷兵の療養地として利用しましたが、この頃に石段の温泉街ができたとされています。江戸時代には湯治場として多くの客が訪れるようになり、明治以降は数多くの文人墨客も訪れています。徳富蘆花は温泉街の旅館「千明仁泉亭」を定宿とし、小説「不如帰」にもその旅館を登場させています。
文人墨客に愛された温泉
「伊香保温泉」には明治時代以降に数々の文人墨客が訪れており、湯治の傍ら執筆・創作活動に励む方もおりました。夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情、田山花袋、竹久夢二、若山牧水、与謝野晶子などが訪れています。温泉街の石段の中腹には与謝野晶子が大正4年に作った詩「伊香保の街」が刻まれており、当時の伊香保の温泉街の情緒が歌われています。
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