箱根七湯から箱根二十湯
「箱根温泉」は三十万年前の火山活動によってできたカルデラ地帯に分布する神奈川県足柄郡箱根町の温泉郷です。
箱根はかつての火山活動による源泉の数が豊富で、温泉地は七つ、八つ、十七、二十とも数えられ、それぞれ「箱根七湯」、「箱根八湯」、「箱根十七湯」、「箱根二十湯」と呼ばれます。
「箱根七湯」は江戸時代から庶民の湯治場又は東海道の宿場町として発展した歴史ある温泉で、「湯本」、「塔ノ沢」、「堂ヶ島」、「宮ノ下」、「底倉」、「木賀」、「芦之湯」の温泉を指します。
「箱根七湯」は「湯本温泉」が最も古くて開湯は奈良時代の天平10年(738年)ですが、「塔之沢」は慶長10年(1605年)、「堂ヶ島」は1311年、「宮ノ下」は1398年、「木賀」は建久4年(1193年)との記録があります。
「箱根七湯」に鎌倉時代には既に開湯していた「姥子温泉」を加えて、「箱根八湯」と称する事もあります。
「姥子温泉」は東海道から離れていたので歴史は古くともそれほどの賑わいはありませんでした。
やはり、「箱根七湯」は東海道に近い事があって、江戸時代から繁栄していたようです。
その後次第に近代化と技術開発が進み、それまで手がつけられていなかった周辺地の開発が行われて温泉地が増えて行きました。
「箱根八湯」に「大平台」、「小湧谷」、「二ノ平」、「強羅」、「宮城野」、「仙石原」、「湯ノ花沢」、「芦ノ湖」、「蛸川」の9つの温泉を加えた「箱根十七湯」が誕生しました。
更に、「早雲山」、「大涌谷」、「湖尼」の3つの温泉を加えて「箱根二十湯」となりました。
箱根温泉郷全体では全国5位の1日約2万5千トンの温泉湧出量があり、年間400万人以上の宿泊利用人数、400軒以上の宿泊施設数、2万人以上の宿泊収容定員数はいずれも全国1位となっています。
箱根湯本温泉
箱根湯本温泉は箱根温泉郷の中でも最も古い温泉で、温泉郷の表玄関又は玄関口として知られています。
新宿から終点の箱根湯本駅へ小田急ロマンスカーで約1時間半で、箱根全域には箱根湯本駅から箱根登山鉄道や路線バスを利用して行くことができます。
湯本地域には40軒以上の宿や湯本駅中心に60軒以上の土産物店があり、箱根随一の賑わいを見せています。
又、湯本には芸者置屋34軒で構成する箱根湯本芸能組合があり、約200名の芸妓ときらり妓が所属しています。
ちなみに、きらり妓とは若い芸者さんの呼び名で京都では若い芸者の事を舞妓と呼んでいます。
又、湯本には立ち寄り湯も多く、日帰りで温泉を楽しむ事も可能です。以下、湯本で日帰り入浴できる施設を紹介します。
和泉、かっぱ天国、喜仙荘、天山湯治郷、箱根の湯、箱根湯本ホテル、箱根湯寮、ホテル南風荘、ますとみ旅館、弥坂湯、弥次喜多の湯、湯の里おかだ、湯本富士屋ホテル他。
塔ノ沢温泉
塔ノ沢温泉は湯本の奥の早川の渓谷に位置する温泉で、400年以上前の慶長10年(1605年)に阿弥陀寺を開いた弾誓(たんせい)上人によって発見されました。
開湯は江戸時代に入ってからと箱根温泉郷の中では比較的新しいですが、水戸光圀、明の儒学者朱舜水、伊藤博文、天璋院、福澤諭吉、夏目漱石、島崎藤村も訪れた温泉です。
登録有形文化財の宿の創業慶長19年(1614年)の環翠楼や明治23年(1890年)創業の福住楼などの老舗旅館があります。
宮ノ下温泉
宮ノ下温泉は標高420mの箱根山の中腹に位置する温泉で、室町時代の応永5年(1398)に発見されました。
江戸時代には武家や豪商の湯治場として栄え、明治時代になると異国情緒溢れる外国人街として賑わいました。
明治11年(1898年)に開業した富士屋ホテルは外国人専用ホテルのクラシックリゾートホテルとして数多くの外国人が滞在しました。
ヘレンケラー、ジョン・レノン、チャーリー・チャップリンも宿泊しています。
富士屋ホテル前の国道1号線沿いは富士屋ホテルをはじめとする洋風旅館、写真館、土産物店、骨とう品店が立ち並び、大正時代のレトロの雰囲気を醸し出しており、通称セピア通りと呼ばれています。
堂ヶ島温泉
箱根七湯の一つで宮ノ下バス停から早川渓谷を下った所にある温泉です。
車が入れない渓谷沿いの谷底の為、温泉へは宿泊客専用のモノレール式ケーブルカーとロープウェイで下まで降ります。
ケーブルカーは対星館、ロープウェイは晴遊閣大和屋ホテルが管理していますが、大和屋ホテルは2013年8月に営業終了しています。
底倉温泉
底倉温泉は宮ノ下温泉の西、早川と蛇骨川が合流する蛇骨渓谷から湧き出る温泉で箱根七湯の一つです。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原征伐をした際に将兵が入浴したとされる温泉ですが、室町時代にも戦で傷ついた武士が体を癒したとの記録があります。
江戸時代には数件の宿、昭和時代には3軒の宿がありましたが、現在では1軒の宿が営業しています。
平成17年(2005年)には日帰り温泉入浴施設「てのゆ」がオープンしました。
箱根の山々に囲まれた露天風呂でゆったりと疲れをいやす事ができます。
木賀温泉
木賀温泉は宮ノ下温泉の近く、早川沿いの国道138号線、彫刻の森美術館の隣にあります。
開湯は室町時代の建久4(1193)年で、源頼朝に仕えた木賀善司吉成が病を癒したとの伝説があります。
江戸時代初期には子宝の湯として徳川将軍家へはるばる献上されました。明治時代になると温泉療法で有名なドイツのヘルツ博士などに気に入られ、賑わいを見せるようになりました。
現在は元々国家公務員専用の宿泊施設であったKKR箱根宮の下のみ営業しています。
ちなみにKKRとは国家公務員共済組合連合会の略です。
同施設は以前は国家公務員関係者しか利用できませんでしたが、現在はリニューアルを経て一般利用可能となっています。
芦之湯温泉
芦之湯温泉は駒ヶ岳の南山麓、標高約870mと箱根七湯で最も標高が高く、国道1号線でも箱根駅伝で紹介される最高点付近にある温泉です。
開湯は鎌倉時代にまで遡り、かつては箱根越えの休憩所として利用され、又江戸時代には多くの文人墨客が訪れました。
江戸時代の文化14年(1817)に刊行された温泉番付の「諸国温泉効能鏡」には前頭筆頭に掲載されており、その効能の高さは昔から知られていました。
姥子温泉
姥子温泉は箱根七湯を合わせて箱根八湯の一つとされる温泉で、標高約900m、神山の中腹にあります。
芦ノ湖の湖岸から神奈川県道735号線大涌谷湖尻線を通って大涌谷へ向かう途中にあります。
約3千年前の神山の水蒸気爆発によって崩壊してできた岩盤から温泉が湧出しており、開湯は約800年前と伝えられます。
平安時代に源頼光の家臣坂田金時が木の枝によって眼を負傷した際に、母もしくは乳母が箱根権現のお告げを受けて金時が温泉で眼を洗ったところ、傷が治ったと伝えれています。
これが姥子温泉の由来といわれ、以来眼病に効く温泉として知られ、かの夏目漱石も眼病の治療に訪れており、小説「吾輩は猫である」には姥子温泉が登場しています。姥子温泉には日帰り専門の入浴施設の秀明館があります。
以前は宿泊もできましたが、現在は日帰り入浴だけの利用で食事も提供しておりません。
日中は基本的に入浴と個室休憩を前提とした利用のみを受け付けており、15時以降は入浴のみ利用可能となっています。
宣伝ナシ、予約ナシ、団体利用不可、個室利用前提という事から大勢で賑わうといった温泉ではなく、箱根の神山の静かな森の中でゆったりとした時間を過ごすといった温泉です。
大平台温泉
大平台温泉は箱根十七湯の一つで、昭和26年(1951年)に地元民が温泉を掘り当てた比較的新しい温泉です。
箱根登山鉄道の塔之沢駅と宮ノ下駅の間の大平台駅の近くに湧く温泉です。
大平台の名前は昔、浅間山に棲んでいた大蛇が村人によって退治された際に大きなしっぽ、尾が動いて山を崩して平らにした事から「尾平台」と呼ばれる様になった事が由来です。
温泉は現在大平台温泉組合が管理しており、大平台駅周辺には共同浴場の「姫の湯」や複数の小さな旅館があります。
小涌谷温泉
小涌谷温泉は箱根十七湯の一つで、神山と浅間山の谷間、箱根山中腹の標高約600mにある温泉です。
小涌谷は元は噴煙が立ち込める荒涼した大地で小地獄と呼ばれていました。
しかし、明治6年(1873年)に明治天皇が宮ノ下へ行幸する際に小地獄では縁起が悪いとの事で小涌谷に変更されました。明治16年(1883年)には榎本猪三郎、恭三親子が三河屋旅館が開業し、与謝野晶子夫妻、画家の竹山夢二や孫文も訪れています。
三河屋旅館は現在も明治時代から160年間営業を続けており、大正時代に建て替えられた現在の本館は国の有形文化財に登録されています。
昭和初期には横浜の実業家榎本猪三郎氏らによって本格的な温泉場として開発されました。
昭和34年(1959年)には箱根ホテル小涌園が開業、2001年には温泉テーマパークなるユネッサンが開業しています。
二ノ平温泉
二ノ平温泉は箱根十七湯の一つで小涌谷と強羅の中間、標高約550mにある温泉です。
二ノ平は大平台と関係があり、昔箱根外輪山、浅間山に棲んでいた大蛇を村人が退治した際に、大蛇が尾を最初に振り回した時にできたのが尾平台、すなわち大平台、次にできたのが二ノ平だという伝説があります。
二ノ平温泉には箱根登山鉄道彫刻の森駅から徒歩7分、国道723号線沿いに共同浴場亀の湯があります。
亀の湯は昭和28年に地下300メートルまで掘削して湧き出た温泉で、男女別の内風呂と家族風呂があります。
宮城野温泉
宮城野温泉は箱根十七湯の一つで、箱根の中央部、明星ヶ岳の山裾に広がる温泉です。
宮城野は現在の仙台市である宮城野原に風土や気候が似ている事からその名が付けられたともいわれています。
昭和30年代には木賀温泉や強羅温泉から引き湯していましたが、昭和40年に入ってから明神ヶ岳の麓から温泉が湧出しました。
宮城野に湧出温泉を最初に利用したのが宮城野温泉会館で、同施設は小規模ながら地元住民が日常的に利用する共同浴場の様な温泉です。
温泉会館の向かい側には同じく町立の勘太郎の湯があり、日帰り入浴できます。
又、宮城野は桜の名所として有名で、早川の堤防沿いに広がる桜並木には開花時期になると多くの観光客が訪れます。
仙石原温泉
仙石原温泉は箱根十七湯の一つで、火打山、金時山、長尾峠などの山麓に広がる高原の温泉です。
仙石原は昔、この高原を開墾すれば千石の米が獲れるといわれた事に由来すると伝えられています。
温泉は江戸時代中期に大涌谷温泉から引き湯したのが始まりといわれ、後に姥子温泉からも引き湯します。
元湯場、俵石、仙石、下湯、上湯の5湯を総称して仙石原温泉と呼んでいます。
現在でも仙石原のススキや箱根湿生花園といった自然が残り、又箱根ガラスの森、ポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、マイセン庭園美術館、箱根ラリック美術館、箱根武士の里美術館などの多くの美術館が集まるリゾート地となっています。
湯ノ花沢温泉
湯ノ花沢温泉は箱根十七湯の一つで、標高約950mと十七湯の中でも最も高い場所にある温泉です。
箱根の神山と駒ヶ岳の東方に位置し、芦ノ湯温泉から駒ヶ岳へ向かう途中の道路沿いにあります。
湯ノ花沢とは沢に湯ノ花が自然湧出する事に由来しますが、大量に湧出する湯ノ花が採取、販売される様になりました。
これは日本で初めて湯ノ花が採取、販売されたケースで、地域の名物として賑わいを見せました。
当地では明治23年(1890年)頃から温泉が利用され始め、現在では箱根湯の花プリンスホテルのみが営業しています。
箱根湯の花プリンスホテルでは日帰り入浴も可能で、無色透明の内湯と湯の花が漂う白濁色の露天風呂があります。
芦ノ湖温泉
芦ノ湖温泉は箱根十七湯の一つで、芦ノ湖東南岸の駒ヶ岳の麓にある温泉です。
昭和41年(1966年)に駒ヶ岳の東にある湯ノ花沢温泉から引き湯して始まった温泉で、それまで芦ノ湖の観光レジャースポットとして賑わいを見せていた地域が温泉地としても発展する様になりました。
芦ノ湖ではボート、水上スキー、釣り、遊覧船などのマリンスポーツ・レジャーやキャンプなどのアウトドアが元々盛んで、そうした活動の拠点としても利用される様になりました。
又、箱根の関所跡、箱根神社、九頭竜神社、箱根園水族館など観光名所も多いです。
蛸川温泉
蛸川温泉は箱根十七湯の一つで、昭和62年(1987年)に掘削された十七湯の中でも最も新しい温泉です。
駒ヶ岳と芦ノ湖の間にある箱根園周辺の地域の温泉で、駒ヶ岳ロープウェイの北側、標高約900mの地から温泉が湧出しました。
当初は芦ノ湖温泉と合わせて元箱根温泉と呼ばれていましたが、平成5年(1993年)に本格的に利用されるようになると蛸川温泉と独立して称されるようになりました。
ちなみに、蛸川とは周辺の沢が蛸の足の様に分かれて芦ノ湖に流れている事から名付けられたといわれています。
蛸川温泉のプリンスホテル、ザ・プリンス箱根では自家源泉が湧出していますが、施設内の湖畔の湯にて利用できます。
宿泊者は無料で、日帰りでも有料で入浴可能となっています。
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