青森市北東部の陸奥湾に面する温泉
「浅虫(あさむし)温泉」は青森県青森市の東端、陸奥湾の海岸沿いの夏泊半島の付け根に湧く温泉です。
青森市街から車で約30分、国道4号線沿いに大小15軒ほどの宿泊施設が建ち並んでいます。
浅虫温泉駅を中心に旅館やホテル、土産物店や飲食店が並ぶ温泉街が発展しています。
海岸沿いの宿泊施設では夕暮れ時に水平線に沈む夕陽が名物となっています。
泉質は単純泉、源泉数は150本ほどありましたが、現在は8本に集中管理されています。
また、「麻蒸湯札」なる湯めぐり手形を購入すれば、「浅虫温泉」にある宿泊施設の内、旅館13軒、民宿2軒の中から3軒の湯を利用する事ができます。
「麻蒸湯札」は該当の宿泊施設や商店で販売しています。
「浅虫温泉」の由来と歴史
「浅虫温泉」は元は「麻蒸(あさむし)温泉」と表記されていましたが、転じて「浅虫温泉」と書かれる様になりました。
「麻蒸」の「蒸」の文字が火に関連する事から火事の災難を連想する為、「蒸」の字を使わずに「虫」で「浅虫」となったといわれています。
とはいえ「麻蒸」と名付けられたのは、元々この地の温泉で「麻を蒸していた」事に由来します。
温泉の開湯は平安時代の876年にまで遡り、慈覚大師の円仁が発見したといわれています。
発見後しばらくは麻を蒸す為だけに利用されていましたが、1190年に円光大師の法然が訪れて入浴するよう住民に勧めたといわれています。
法然は傷ついた鹿が湯浴みしてみるみるうちに癒されていくのをみて効能の高い温泉だと知り、地元の住民に同じ様に入るように勧めたとの事です。
江戸時代には弘前藩主の津軽家が入浴し、本陣も設けられました。
江戸時代に刊行された温泉番付「諸国温泉万能艦」では「西之方前頭」に格付けされています。
江戸時代の天明8年(1788)には紀行家菅原真澄(1754~1829)も訪れ、「湯は滝の湯、目の湯、柳の湯、大湯、裸の湯などがあり、よく清らかに湧き」と書き残しています。
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