能登半島七尾湾に湧く温泉
「和倉温泉」は能登半島中央部の七尾湾に面する石川県七尾市に湧く温泉です。泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉。
「和倉温泉」の歴史・由来
七尾湾の海に湧く温泉として湾岸沿いに発展した温泉地で、開湯は平安時代と1,200年以上の歴史があります。
元々源泉は円山の湯の谷に湧いていましたが、地殻変動によって七尾湾の沖合に移動したといわれています。
こうして海中から湧き出していた温泉は、その後平安初期の大同年間(806-809)に白鷺が傷を癒していたのを漁師が発見したとされています。
温泉とはいっても海中から湧き出る海の温泉で、引き潮の時に限って利用できるだけでした。
江戸時代の慶長16年(1611年)には加賀藩主前田利長が腫物の治療の為に「和倉温泉」の湯を取り寄せて治療したといわれています。
ちなみに、当時は「和倉温泉」という呼び名ではなく、湯の湧く浦の温泉という意味で「湧浦温泉」と呼ばれていました。
その後、寛永18年(1641年)に3代藩主前田利常は現在の七尾市にあたる所口町の奉行石黒覚左衛門に温泉の整備にあたらせました。
海中から湧き出る温泉を日常的に利用できるように源泉口の周りに石で囲んだ6尺四方の湯壺を作り、周囲を土で埋め立てて「湯島」とし、湯を溜める桶、簡素な建物を整備しました。
以後、「湧浦温泉」は湯治客が訪れるようになり知名度も上がりましたが、「湧浦」では間違い易いとの事で延宝2年(1674年)に「和倉」と名を改めました。
湯島にはそれまで桶を持参して渡し船で渡り、桶に湯を入れて海水で温度を下げて浸かっていたようです。
その後、湯島に橋が架けられましたが、明治時代になってからは湯島までの海を埋め立てて陸続きとなり、いよいよ温泉街として発展していきました。
明治、昭和に入り高度経済成長期には交通の便も改善し、温泉街も大規模な旅館やホテルが立ち並ぶようになり、現在では県内有数の温泉地となっています。
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