日本最古の温泉
「有馬温泉」は「日本書紀」で舒明天皇が西暦631年に滞在したとの記述があり、大化の改新があった飛鳥時代には既に存在が確認されている日本最古の温泉の一つです。日本最古の温泉は3つあるといわれていますが、愛媛県の道後温泉、和歌山県の南紀白浜温泉と並ぶ「日本三古湯」の一つです。開湯の正確な時期は定かではありませんが、長い歴史の中で天皇、皇族、公家、大名、文人など数々の重要人物が訪れています。元々は太古の時代から自然に湧き出る温泉として存在していたようですが、後に述べる三羽烏と二神により発見され、有馬の三恩人といわれる行基、仁西、豊臣秀吉の尽力を受けて発展してきました。六甲の山奥にある温泉ですが、大阪から車で約30分、神戸から約20分と交通の便も良いので昔から人気があります。
有馬温泉の発祥‐二神と三羽烏
「有馬温泉」をはじめて発見したのは三羽のカラスと大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神といわれています。古代、傷ついた三羽のカラスが水浴びをしていると、数日後には傷が癒えて飛び立っていきました。それを見ていた二神が水溜りを見ていると大変効能のある温泉が見つかり、これが「有馬温泉」の発見となりました。そして温泉を見つける事に貢献した三羽の烏は有馬に住むことが許されるようになり、「有馬の三羽烏(がらす)」として二神と共に湯泉神社に祀られるようになりました。温泉の発見の後の飛鳥時代には舒明天皇(593~641)と孝徳天皇(596~654)の行幸もあり、有馬の湯は一段と有名になりました。
行基上人と温泉寺
三羽烏と二神によって発見された「有馬温泉」は後に行基上人によってその礎が築かれました。行基上人はある時腫れ物のある病人を有馬の湯に連れていく事になりました。その病人は実は仏様で承認の親切に感心して有馬の湯を整備して広めるように告げました。上人は仏様の教えに従い、薬師如来の像を刻んで堂に納めて、奈良時代の724年(神亀元年)に「温泉寺(正式名称は有馬山温泉禅寺)」を建立しました。現在の温泉禅寺には行基上人と仁西上人の木像が祀られており、毎年1月2日の入初式では有馬温泉の発展に貢献した両上人に感謝して木像に新年初めの温泉、初湯を掛けて沐浴を行います。
仁西上人の温泉再興
行基上人の尽力により有馬の湯は天皇、皇族、文人など数多の方々が訪れて長らく賑わいを見せるようになりましたが、1097年(承徳元年)に起きた大洪水により壊滅的な被害を受けてしまいました。洪水により家屋は押し流され温泉の沸く場所もわからなくなり、以来約1世紀に渡って有馬の湯は衰退してしまいました。その荒廃した有馬を再び救ったのが大和国、吉野の高原寺の僧仁西(にんさい)でした。仁西上人は熊野権現に詣でた際に有馬の湯を再興せよとのお告げを授かり、有馬の温泉寺を改修し宿泊場所となる12の宿坊を作りました。
豊臣秀吉の温泉支援
仁西による再興を経て再び繁栄した有馬温泉ですが、今度は度重なる大火により焦土と化してしまいました。1528年(享禄元年)と1576年(天正4年)の大火により建物は消失するなど壊滅的な被害を受けてしまいました。豊臣秀吉が初めて有馬温泉を訪れたのは1583年(天正11年)で、以来正妻のねねや重臣を連れて度々訪れるようになり復興の支援をするようになったのです。1590年(天正18年)には千利休や津田宗久といった茶人を連れて盛大な大茶会を開催しており、天下人としての秀吉の威勢を知らしめる事となりました。秀吉の支援を受けて徐々に賑わいを取り戻していった有馬温泉でしたが、1596年(慶長元年)の慶長伏見大地震で又被害を受けてしまいました。秀吉の伏見城は倒壊し、有馬温泉の泉源や泉温にも地震の影響が現れ、そのままでは温泉として利用する事が難しくなったのですが、秀吉は多大な費用をかけて泉源の保全・改修工事を行ったのです。その工事のおかげで有馬温泉は存続の危機を免れ、再び利用する事ができるようになったといわれています。有馬温泉を流れる六甲川に架けられた橋には両端に秀吉と正妻ねねの銅像が向かい合って鎮座しており、夫妻の仲の良さが伺えます。又、有馬で度々茶会を開いた秀吉を偲び、昭和25年からは毎年11月2日、3日に有馬大茶会を開催しています。
江戸時代の有馬温泉
江戸時代には有馬温泉は幕府の直轄領となり、伊勢参りや熊野詣と並んで庶民の旅の目的地ともなり大変な賑わいを見せるようになりました。「有馬温泉」は江戸時代の寛政年間(1789~1801)に作られた温泉番付では東の大関「上州草津の湯(群馬県草津温泉)」と並ぶ西の大関「摂州有馬の湯(兵庫県有馬温泉)」として名を連ねています。番付は効能を基準につけられており、当時から有馬の湯が効能が高い温泉だとして有名だったのです。ちなみに温泉番付では大関が最高位で横綱はありませんでした。江戸時代には全国の国境には関所があって自由な移動は制限されていましたが、上記の伊勢参りや熊野詣といった参拝や農閑期に温泉で疲れを癒す湯治では庶民も旅を許される事ができました。
有馬温泉の日帰り入浴
泉質、湯量共に豊富な有馬温泉では日帰り入浴ができる施設が数多くあります。公共の日帰り浴場である「金の湯」と「銀の湯」をはじめ、かんぽの宿有馬、上大坊、有馬御苑、竹取亭別邸、有馬ロイヤルホテル、角の坊、メープル有馬、太閤の湯、ねぎや陵楓閣、御幸荘花結び、陶泉御所坊などがあります。
金の湯は名前の通り濃い赤茶色の金泉を泉質とする温泉で、神戸市営の公共浴場です。以前は有馬温泉会館として昭和36年(1961年)から営業していましたが、2002年に「金の湯」としてリニューアルオープンしました。館内には一の湯、二の湯があり、玄関脇には無料で足湯と飲泉所が利用できます。
「銀の湯」は炭酸泉とラジウム泉をあわせた混合泉で、銀泉と呼ばれています。赤褐色の金泉と異なり、銀泉は無色透明です。「金の湯」も「銀の湯」も両方入りたい場合には共通の入浴券も販売されています。又、太閤の湯は金泉、銀泉、炭酸泉の全てを使用した26種類の風呂と岩盤浴が楽しめる総合温泉施設です。2014年2月に7千平方メートルの大改装をしてオープンし、太閤秀吉の黄金の茶室をイメージした黄金の蒸し風呂、太閤の岩風呂、ひょうたん露天風呂、ねねの遊び場和風風呂など太閤秀吉にちなんだ風呂があります。又、フードコート、リラクゼーション、休憩コーナー、そして館外には官兵衛古道、ねねハーブの小径など各種施設が充実しています。
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