九州・沖縄地方

別府温泉(大分県別府市)【地獄めぐり】

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日本一の温泉

「別府温泉」は全国の源泉約2万8千の10分の1である約2,850の源泉があり、温泉の湧出量も毎分約9万5千リットル、1日約13万キロリットルと日本一の温泉地です。これは日本にある10本の源泉の内1本が別府にある事になり、源泉数は日本だけでなく世界でも第1位で、湧出量はアメリカのイエローストーン国立公園の世界一に次いで世界2位です。

泉質は世界に現存する11種類の内の放射能泉を除く、単純温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、含アルミニウム泉、含銅-鉄泉、硫黄泉、酸性泉の10種類があるという世界でも稀な豊富な泉質の温泉です。人口わずか12万人の別府市には年間約800万人の観光客が訪れ、国内のみならず海外からも日本の「ONSEN」の代表格として観光客が訪れています。豊富な源泉数、湧出量を背景に共同浴場が市内各地にあり、その数は数百あるともいわれています。

別府市では市内各地の厳選された温泉88湯を巡るイベント「別府八湯温泉道」を開催しています。市営温泉、共同温泉、協同温泉、外湯、宿泊施設など温泉の形態は異なりますが、現在約140施設がイベントに参加しています。

別府湾
Beppu Bay / 別府湾 / by Yusuke Kawasaki

別府八湯 

「別府温泉」は大分県別府市内にある8地区を中心とした温泉郷で、「別府八湯」とも呼ばれます。「別府八湯」とは「別府温泉」、「浜脇温泉」、「亀川」、「鉄輪(かんなわ)」、「明礬(みょうばん)」、「柴石」、「観海寺」、「堀田温泉」で、各温泉ともそれぞれ特徴があります。

別府温泉の歴史

「別府温泉」の歴史は古く神話の時代にまで遡り、「伊予国風土記」に「速見の湯」と称した「別府温泉」の記述があります。風土記には現在の愛媛県である「伊予の国」で「少彦名命(すくなひこなのみこと)」が旅の途中に病に倒れてしまい、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」が豊後水道の海底に長い管を通して道後まで別府の湯を引いたとされています。はるばる豊後から別府の湯を引いた温泉に入浴した「少彦名命」は病から回復したといわれています。

別府温泉の地質

「別府温泉」が世界有数の温泉地たる理由はその地質にあります。別府温泉からすぐ近くの別府湾から別府市を抜けて、阿蘇山から九州西部の島原半島までは断層が沈む地溝帯となっており、地下数千メートルの熱水だまりに雨水がとけ込むと蒸気から恩泉水になって地表に湧き出てきます。九州大陸を横断するほどの巨大な地溝帯が温泉の元となっており、地中から地表に湧き出るまでに成分を吸収して様々な効能のある温泉として湧き出ています。地球のマグマ活動によってできた地下の熱水だまりによって、太古の昔に既に温泉が湧き出ていたとも考えられており、温泉の起源は約3万年前とも5万年前ともいわれています。

別府温泉のシンボル「竹瓦温泉」

竹瓦温泉 / by Norio.NAKAYAMA

「竹瓦温泉」は「別府温泉」のシンボルともいえる歴史のある温泉で、元々は別府湾の海岸に湧き出る温泉の周りに石を敷いて浴槽とし、青竹で屋根を作った簡易的な造りの共同浴場でした。別府市元町で1879年に創設されましたが、自然と湧き出ていた温泉を囲って野外露天風呂の様にして地元の漁師や住民が浸かっていたのがはじまりのようです。その後明治期、大正期としっかりとした造りの木造建築を建て替えを行い、現在の建物は昭和13年(1938年)に建築されたもので、木造2階建ての唐破風(からはふ)造りの屋根を構えた歴史と趣を感じる建築物の共同浴場となっています。

別府温泉の日帰り温泉

別府温泉には日帰り入浴ができる温泉が多数あります。前述の竹瓦温泉もしかりですが、他にもひょうたん温泉、明礬湯の里、鬼石の湯、湯屋えびす、おかたの湯、みゆきの湯、桜湯、夢たまてばこ、北浜温泉テルマス、杉乃井ホテルスギノイパレス、不老泉、別府温泉保養ランドなどがあります。別府温泉の一つ、鉄輪温泉にあるひょうたん温泉は創業大正11年の歴史ある温泉です。ひょうたん温泉とは何とも変わった名前ですが、これは創業者が豊臣秀吉の旗印である千成瓢箪にちなんで名付けたものです。現在でも創業当時に作られたひょうたん形の岩風呂が女湯に残っています。明礬(みょうばん)温泉湯の里では江戸時代から続く天然の入浴剤「薬用湯の里」を製造直売しています。温泉ガスを結晶化した天然の入浴剤である「薬用湯の里」は効能が高いとして人気があります。現地では実際にその製造工程を見学する事もでき、その製造技術は平成18年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。また、地獄めぐりの中で唯一温泉に浸かる事ができるのが鬼石の湯です。鬼石坊主地獄の敷地内に鬼石の湯があり、内湯、露天、展望風呂、貸切風呂などがあります。

地獄めぐり

by Travis

別府温泉には数多くの自然湧出の源泉がありますが、それらの源泉の一部を観光化の一環で「地獄」と呼び、複数の「地獄」に立ち寄る「地獄めぐり」が人気です。地獄とは何とも怖い呼び名ですが、源泉数・湧出量とも日本一の別府温泉では各所で高圧・高温の熱湯が湧き出して湯気が立ち上っており、昔の人々からすればさながら地獄をイメージしてもおかしくはありません。

地獄めぐりでは鉄輪温泉にある鬼山地獄、白池地獄、海地獄、鬼石地獄、山地獄、かまど地獄の6地獄と紫石温泉にある血の池地獄と龍巻地獄の2地獄を合わせた8地獄を巡るツアーがあります。鬼山地獄は別名ワニ地獄とも呼ばれ、クロコダイルやアリゲーターなど約70頭のワニが飼育されています。大正12年に別府の温泉熱を利用して日本で初めてワニを飼育した場所で、現在では定期的にエサやりのアトラクションを開催しています。

白池地獄は無色透明の源泉ですが、源泉が池に落ちる際に温度の圧力の低下によって青白い色となっています。温泉熱を利用した熱帯魚館があり、ピラニアやピラルクなどを飼育しています。

海地獄は約1300年前の鶴見岳の爆発でできた熱湯の池です。別府温泉の地獄の中でも最大の地獄ですが、地獄との呼び名とは裏腹に源泉が湧く池は海のようなコバルトブルーの綺麗な色です。これは温泉中の成分である硫酸鉄が溶けているからで、海のように見える事から海地獄と呼ばれています。しかし、海といっても泉温は98℃もある熱湯で、辺りは湯煙が立ち込めています。又、その熱湯を生かして大鬼蓮や睡蓮などの熱帯性植物を栽培しており、日本一の大鬼蓮もここで見られます。

別府温泉海地獄
別府温泉海地獄 / photo by senngokujidai4434

隣にある鬼石坊主地獄は天平5年(735年)に編纂された「豊後風土記」に登場するほど歴史の古い地獄で、明治時代には既に「新坊主地獄」として観光化されていました。その後一旦は閉鎖されましたが、平成14年(2002年)に「鬼石坊主地獄」として再開しています。坊主地獄とは熱せられて灰色の泥が沸騰してボコボコ噴き上がる様子が坊主の頭に似ている事から名付けられました。山地獄は周りの山々から噴気が至る所に立ち込める事から名付けられました。その温泉熱を利用してカバ、フラミンゴ、サル、クジャク、カピバラなどの動物が飼育されています。

別府温泉坊主地獄
別府温泉坊主地獄 / photo by senngokujidai4434

かまど地獄は昔、竈門ノ八幡宮の大祭の為に地獄の噴気を利用して供物の御飯を炊いていた事から名付けられました。1丁目から6丁目なる地獄の見どころがあり、1カ所の地獄にもかかわらず6種類の地獄を見る事ができます。1丁目は茶褐色の熱泥地獄、2丁目は岩の隙間から噴気が出ており、3丁目は温泉沈殿物のシリカがコバルトブルーの色を出す地獄、4丁目は熱泥地獄の池、5丁目はブルーやグリーンなど色が変わる地獄、6丁目は熱泥地獄です。

血の池地獄はいかにも地獄らしいといった血の様な真っ赤な熱泥の地獄です。広さは1,300平方メートル、深さは30m以上、1日約1800klの湧出量があります。色が赤いのは酸化鉄や酸化マグネシウムを含む熱泥が噴出しているからで、古来よりのの熱泥を使用して皮膚病に効くといわれる軟膏を作ったりしています。軟膏は現在でも園内で血ノ池軟膏として販売しています。日本最古の地獄といわれ、奈良時代の「豊後風土記」には「赤湯泉」として登場している歴史のある温泉です。

龍巻地獄は周期的に熱湯を噴き出す間欠泉です。30~40分間隔で、約6~10分ほど噴出を続け、1日に約600klの噴出量があります。150℃の熱水が地上50mの高さまで噴出するといわれていますが、危険防止の為にコンクリートの屋根が設けられています。

別府温泉観光マップ

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